ゴーン・ガール

ゴーン・ガール

▶ ゴーン・ガール

【ネタバレガンガン注意】

私の大好きなデヴィット・フィンチャー監督作品。一見すると『氷の微笑』『危険な情事』など"全米の男どもが震えた系"の映画に見えますが、ジャンル映画の枠を超えて実に面白かったです。社会派サスペンスあり、ブラックコメディあり。私は『種の起源〜スピーシーズ〜『雪女』『崖の上のポニョ』『寄生獣(田宮良子)』のような異類婚姻譚としても楽しめました。男にとって女は異種なのだから。

鶴女房・蛇女房とは?

山の女神の化身が人間の男と結婚するパターンです。自然の富を与える代わりに掟を課し、破ると婚姻関係は消滅します。『メリジェーヌ物語(フランスの蛇女房モノ)』では、妻の正体が竜であることを夫は知っていますが、掟を守っている限り(風呂を覗いてはならない)婚姻関係は保証されます。『崖の上のポニョ』でも宗介はポニョの正体を知っており「身元引受人」という法律用語的な言葉で"契約"しています。同じく『ゴーン・ガール』も正体を知っていて他言無用系ですね。ミズーリの生き物とニューヨークの生き物の異類婚姻譚です。ここでは秘密の共有が夫婦の絆をより強固なものにする予感が描かれています。

題名「GONE GIRL」とは?

gone girl?少女って年齢じゃないよね?変な題名だな。まずgoneの意味から。過ぎ去った/死んだ/見込みのない/滅入る/妊娠している/夢中になるなど。ふむふむ。

ふいに宇多丸さんの『ノーカントリー』評の題名の超訳を思い出しました。「私が愛した古き良きアメリカはすでにない」または「そんなものはそもそもなかった」的な題名だそうです。

▶ ノーカントリー

これを『ゴーン・ガール』に置き換えれば「私が愛したエイミーはすでにいない」または「エイミーなんてそもそもいなかった」って感じ?

『ゴーン・ガール』も"失踪少女"ではなく"家出娘"と訳せばいろいろ見えてきます。血を抜いて床に塗りつけたり、変装したり、自傷に躊躇がなかったり、自死を夢見たり。家出の計画とそれを遂に実行するワクワクビクビクの文学少女という色眼鏡で見ると、エイミーの不合理な点にも合点がいきます。

ニックの双子の妹マーゴは、比較的に安心できるイイキャラです。彼女は半身であるニックがエイミーに奪われたと思っているでしょう。そういえばエイミーにもアメージング・エイミーという常に先を歩く分身がいました。物語の中にしかいない分身。エイミーはサイコパスというより、物語に呪縛された小娘と理解すべきかも?「私は戦士よ」とか「普通の女であなたが満足するはずがない」とか普通は言わないもの。

物語と現実、
物語を擬態した現実、
そして真実。
そのグラデーションと摺り合わせ。

初見ではエイミーは母親の物語に閉じ込められてサイコパスに…という見方をしてきましたが、よりポジティブに再解釈してみます。少女だったエイミーはアメージング・エイミーに競争させられ、反抗し、独立し、ニックと出会い物語から開放されます。しかし、その生活は下降し破綻寸前。そのどん底でエイミーは物語を紡ぐ力を思い出し、実体化する覚悟をします。

物語風にいえば、呪術に長けた女王に育てられた姫様が、反発心から騎士と駆け落ち。ブリキの鎧を剥ぎ取れば貧乏農家の次男坊。惨めな暮らしが嫌になり、家出したなら山賊に身ぐるみ剥がされ、ドラゴン城に逃げ込んだ。自力でドラゴン退治して、農家の倅(せがれ)を騎士にするため舞い戻る。ありとあらゆる呪術を使い、騎士を王に仕立てあげ、母の呪術を超える算段。

こうして見てみると、喉を掻っ切るシーンは悪竜ファフニールの血を浴び不死身となったジークムントを思い出させます。(…だとしたら血を浴びてないキレイな顔が弱点に?)そこでの衣装は従順の白いドレスでも反抗の黒いドレスでもなく、新生の赤いドレス!エミリーはガールからアマゾネスにクラスチェンジし、ゆくゆくはクィーンにもなれるでしょう。エイミーの企ては、物語のエイミーと生身のエイミーが融合し、”真・エイミー爆誕”の超弩級燃え展開の過程だったのです!?……そして、憎んでいた母の呪術教育が武器だったと感謝するかもしれません。

これは失われた物語の力の復活の狼煙です。しょうもない王子しか出てこないらしい『アナと雪の女王(未見)』でありのままと唄うエリザも同じ頃の映画だったかな?見なきゃ。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』でも失われたアメリカを復活させる気概を感じました。

ワイドショーとSNSなんかなくても、人々は自分にキャラを、獲物にレッテルを貼りながら社会を運営してきたわけですから、現実と物語の混同はとうの昔につかなくなっているのですよ。エイミーはそんな社会の中で役割を演じることに自覚的になることで少女から母へと脱皮しようとしています。

 

▶ 寄生獣の田宮良子

エイミーを見ていると『種の起源〜スピーシーズ〜』や『寄生獣』の田宮良子の擬態を連想させます。社会を理解する学習力と即実演する試行力に尊敬の念を抱くのです。特に田宮良子は擬態が精神(ニューロンネットワーク)の部分まで馴染み、笑いが自然に込み上げるところまで習得しました。もう少し時間があれば涙を習得し、デート技術や結婚技術、子育て技術まで習得したでしょう。擬態する快感にも目覚めていたはずです。

しかし、それ以上に「我々が存在する謎」への興味が上回ったため、彼岸へと過ぎ去ってしまいました。彼女は私にとっては重要なヒロインです。『her〜世界で一つの彼女〜』のサマンサも似ているな。

 

▶ スピーシーズ〜種の起源〜

あらゆる手段を使って、生命は増殖していきます。エイミーとニックが子供をどんなふうに育てるか?という第2ラウンドも面白そう。そういえばエイミーやニックの両親についても手短にですがキチンと描写されています。やはり親子三代が出てくると何かの説得力がでてきますな。サイコパスにも親がいて、子がいて血族が紡がれます。結局、私たちはずっとこんな調子だったし、これからも同じなんでしょうね。……うん。

 

▶ 世紀末の詩〜第10話 20年間待った女

"愛"に関しても"真実の愛"に関しても、女が男の一歩先を常に歩いています。『ゴーン・ガール』において話が大きく転換するのは、ニックの釈明会見を元ストーカー金持ち男の隣で見るエイミーのシーンです。アゴを触るのを見て、エイミーの目は輝きます。見どころがあると思っていたニックに失望しかけたけど、土壇場で、やはり自分の目に狂いがなかったと知るのです。元ストーカー金持ち男にはない見どころがニックにはあるのです。

そして当初のプラン【プラン1・夫を死刑にする】【プラン2・プラン1に失敗した場合、自死する】が破棄され【プラン3・夫の元に帰る】が提案され、実行されます。いや、そもそもの望みは【プラン3】だったはずです。

エイミーは”演じる”ことが生きることだと教育され、挫折し、今、再自覚しています。その中で”真実の愛”とは何でしょうか?エイミーに自死せずに生きようと思った価値とはなんでしょうか?

それはニックとエイミーの間だけに通じる合図であり、秘密です。一見すると他愛もないことですが、まさに他では手に入らない愛です。アゴを触る合図(2人だけの秘密)。エイミーは自己防衛で元ストーカーを切り裂いたのではないという秘密(エイミー、ニック、マーゴ、女警官、弁護士の5人だけの秘密)。結婚とは搾取しあう関係だと口に出せる関係(公然の秘密)。これらの秘密がニックの器には入るのです。今後、エイミーの本『ミラクル・エイミー』は母の本『アメージング・エイミー』を超えるでしょう。そのRPGにニックは付き合えるのです。付き合う気があるのです。少なくとも18年間は。

『世紀末の詩〜20年間待った女』でも、暗い秘密を抱えた二人の愛が、二人にしか通じない暗号で表現されます。ゲーム相手。共犯者。暗号。秘密。やはり結婚とは決闘(♪中島みゆき)とか血痕(♪BARBEE BOYS)とかと関係あるんでしょうかね。