ユミルさまマジ女神

進撃の巨人

進撃の巨人12巻

進撃の巨人は原作もアニメも本当に凄い。特に…ユミルさまマジ女神…というわけで今回はユミルの凄さをメモしておこう。ユミルは脇役ではあるが、作品テーマの核を担っている重要なキャラクターだ。

装甲をまとって戦うコンテンツは【ウルトラマン→ガンダム→エヴァンゲリオン→進撃の巨人】と昭和から平成まで脈々と続いている。(特にエヴァはシンジの自意識・プラグスーツ・LCL=羊水=子宮=母・怪物=巨人・拘束具・ATフィールド…と、各種装甲のマトリョーシカだ)。進撃の巨人も、この系譜の中にある。特に「巨人を食うと記憶と能力が継承される」というアイデアは、円谷を食う富野、富野を食う庵野、庵野を食う磯山…と連想が広がっていく。こうして戦うコンテンツは脈々と紡がれているのだ。

その中にあってカイ・シデンはカッコイイ。ジャーナリストとなり装甲を脱いで生身で「戦争そのもの」と戦うんだもん。そりゃアムロやシャアよりカッコイイだろ。ユミルもカイと似ている。その三白眼。その口の悪さ。所属集団に固執せず、だからこそスパイを助けたりもできる。だからこそ「戦争そのもの」を陣営を越えて見ることができる。俯瞰しながらも、結局は戦場に身を投じる。それも軽やかに。

ユミルとカヲルも似ている。ナゾな宗教組織のアイドル。だからこそ他人の心理分析や交渉が上手い。他人の体によく触る。同性愛。物語のナゾそのものの役目を担わされている。(ユミルは偽だが始祖の名を与えられている。)誰か一人だけを助けようとしている。しかし最後には「その誰か一人」を捨てて、戦いそのもの・世界観そのものに終止符を打つため自身を犠牲にする。

ユミルは世界を俯瞰で見る。斜にかまえている。彼女自身の知性と生い立ちのためだ。だが、ここぞ!というときは衝動で動く。後先考えない。なぜなら、彼女の感情・衝動は思考や知性が結晶化・武器化したものだからだ。長大広大な世界観を持ちながら衝動で動く。だからこそ、ベルトルトの声を聞ける。ベルトルトを見つけられる。たくさんの人が良かれと思って取った行動が地獄を創ってきたが、全ての先達の選択を「良し」に転換する可能性を現世代は持っている。ユミルはその体現者だ。

ユミルさまマジ女神。進撃の巨人が大大円を迎えることを祈っております。

100分 de 名著 『野生の思考』 

タグを付けてやる

▶ NHK 100分 de 名著 レヴィ=ストロース『野生の思考』

伊集院光さん100分de名著は『野生の思考』。中沢新一さんの本には影響されており『野生の思考』という言葉も知っていましたが、レヴィ・ストロースは『悲しき熱帯』のジャングル辺りで挫折しています。100分de名著でトーテミズムとタグ付けの関係を知りました。これは面白い。

人間にはタグ付けする能力があります。私の住んでいる秋田県秋田市は、海側は大和朝廷の文化圏であり、内陸部はアイヌの文化圏という境界に位置しています。アイヌは日本が大陸と氷河で陸続きだったころに北から歩いて来ました。ヤマトは大陸沿岸(苗(ミャオ)族/潜水漁業と稲作の一族など)や南島の人々が船を漕いで来ました。

 ◉北から歩いてきた人たち。
 ◉南から船で来た人たち。
 ◉狩猟・動物神・水平に移動・食う食われる。タンパク質。
 ◉稲作・植物神・垂直に成長・光地水を炭水化物に変換。

 植物神にも細かくタグ付けしイメージが細分化。
 ◉樫神・枝は高く光を求め、根は深く泉を探す・世界樹・学問的
 ◉稲神・毎年枯れ毎年育まれる・人々の腹を満たす・産業的
 この2つの植物神は時間や不死の概念が結構違います。

このようにタグをつけることで、モノ・イノチ・コトが複雑に絡み合った世界を、やっと捉えることができます。そして朝夜、春夏秋冬、生と死といった時間の概念を知り、個人の死を越えるために動物神と植物神の星神のタグを超絶技巧で組み合わせ、国家の建築ヴィジョンや神話を造りだします。このタグを付ける力こそココロの働きです。このサイトで行っている返歌もこの働きがあってこそです。

モノ・イノチ・ココロを組み合わせ、料理を作ったり、家を立てたりと様々なコトを発生させているのが人間です。そして、ゆくゆくは科学(知る力)と技術(加工する力)で宇宙さえ造れると夢想するのが人間です。この力の強さに私は酩酊します。そして「今を生きる」とか「幸せ」とかを見逃すのです。しかし、テクネーが、知性が、人間が、生物が、宇宙の中に宇宙を産むための装置・臓器であるというヴィジョンも捨てがたくあります。そのヴィジョンが人類を滅ぼすスピードで疾走するのをさけるため、私達はのんびりと他国の文化や、隣人の庭や、宇宙人の遺跡を巡らないといけないのかもしれません。

レッテル貼りとタグ付けの違い

言葉の意味としては同じですが、レッテル貼りはステグマや烙印を押し、グループから排除するために機能します。(ミュート機能)タグ付けはグループに入れるために機能します。これは正反対の機能でもあり、同じ機能でもあります。

番組内でも近代建築思考とブリ・コラージュでの建築思考との対比が語られていましたが、料理で例えてみます。近代的思考はチェーン店の料理。栄養・鮮度・コストが最適化されますが、大量の食品廃棄も起きます。ブリ・コラージュの料理は冷蔵庫の中を片付けるための料理。毎回、栄養バランス良くて美味いわけではありませんし、お腹に余分な脂肪もつきますが、食品廃棄は防げます。社会とは、この両者がせめぎあう最前線に「両者にとってイイ場所」があるというヴィジョンによって成り立っています。

ゴーン・ガール

ゴーン・ガール

▶ ゴーン・ガール

【ネタバレガンガン注意】

私の大好きなデヴィット・フィンチャー監督作品。一見すると『氷の微笑』『危険な情事』など"全米の男どもが震えた系"の映画に見えますが、ジャンル映画の枠を超えて実に面白かったです。社会派サスペンスあり、ブラックコメディあり。私は『種の起源〜スピーシーズ〜『雪女』『崖の上のポニョ』『寄生獣(田宮良子)』のような異類婚姻譚としても楽しめました。男にとって女は異種なのだから。

鶴女房・蛇女房とは?

山の女神の化身が人間の男と結婚するパターンです。自然の富を与える代わりに掟を課し、破ると婚姻関係は消滅します。『メリジェーヌ物語(フランスの蛇女房モノ)』では、妻の正体が竜であることを夫は知っていますが、掟を守っている限り(風呂を覗いてはならない)婚姻関係は保証されます。『崖の上のポニョ』でも宗介はポニョの正体を知っており「身元引受人」という法律用語的な言葉で"契約"しています。同じく『ゴーン・ガール』も正体を知っていて他言無用系ですね。ミズーリの生き物とニューヨークの生き物の異類婚姻譚です。ここでは秘密の共有が夫婦の絆をより強固なものにする予感が描かれています。

題名「GONE GIRL」とは?

gone girl?少女って年齢じゃないよね?変な題名だな。まずgoneの意味から。過ぎ去った/死んだ/見込みのない/滅入る/妊娠している/夢中になるなど。ふむふむ。

ふいに宇多丸さんの『ノーカントリー』評の題名の超訳を思い出しました。「私が愛した古き良きアメリカはすでにない」または「そんなものはそもそもなかった」的な題名だそうです。

▶ ノーカントリー

これを『ゴーン・ガール』に置き換えれば「私が愛したエイミーはすでにいない」または「エイミーなんてそもそもいなかった」って感じ?

『ゴーン・ガール』も"失踪少女"ではなく"家出娘"と訳せばいろいろ見えてきます。血を抜いて床に塗りつけたり、変装したり、自傷に躊躇がなかったり、自死を夢見たり。家出の計画とそれを遂に実行するワクワクビクビクの文学少女という色眼鏡で見ると、エイミーの不合理な点にも合点がいきます。

ニックの双子の妹マーゴは、比較的に安心できるイイキャラです。彼女は半身であるニックがエイミーに奪われたと思っているでしょう。そういえばエイミーにもアメージング・エイミーという常に先を歩く分身がいました。物語の中にしかいない分身。エイミーはサイコパスというより、物語に呪縛された小娘と理解すべきかも?「私は戦士よ」とか「普通の女であなたが満足するはずがない」とか普通は言わないもの。

物語と現実、
物語を擬態した現実、
そして真実。
そのグラデーションと摺り合わせ。

初見ではエイミーは母親の物語に閉じ込められてサイコパスに…という見方をしてきましたが、よりポジティブに再解釈してみます。少女だったエイミーはアメージング・エイミーに競争させられ、反抗し、独立し、ニックと出会い物語から開放されます。しかし、その生活は下降し破綻寸前。そのどん底でエイミーは物語を紡ぐ力を思い出し、実体化する覚悟をします。

物語風にいえば、呪術に長けた女王に育てられた姫様が、反発心から騎士と駆け落ち。ブリキの鎧を剥ぎ取れば貧乏農家の次男坊。惨めな暮らしが嫌になり、家出したなら山賊に身ぐるみ剥がされ、ドラゴン城に逃げ込んだ。自力でドラゴン退治して、農家の倅(せがれ)を騎士にするため舞い戻る。ありとあらゆる呪術を使い、騎士を王に仕立てあげ、母の呪術を超える算段。

こうして見てみると、喉を掻っ切るシーンは悪竜ファフニールの血を浴び不死身となったジークムントを思い出させます。(…だとしたら血を浴びてないキレイな顔が弱点に?)そこでの衣装は従順の白いドレスでも反抗の黒いドレスでもなく、新生の赤いドレス!エミリーはガールからアマゾネスにクラスチェンジし、ゆくゆくはクィーンにもなれるでしょう。エイミーの企ては、物語のエイミーと生身のエイミーが融合し、”真・エイミー爆誕”の超弩級燃え展開の過程だったのです!?……そして、憎んでいた母の呪術教育が武器だったと感謝するかもしれません。

これは失われた物語の力の復活の狼煙です。しょうもない王子しか出てこないらしい『アナと雪の女王(未見)』でありのままと唄うエリザも同じ頃の映画だったかな?見なきゃ。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』でも失われたアメリカを復活させる気概を感じました。

ワイドショーとSNSなんかなくても、人々は自分にキャラを、獲物にレッテルを貼りながら社会を運営してきたわけですから、現実と物語の混同はとうの昔につかなくなっているのですよ。エイミーはそんな社会の中で役割を演じることに自覚的になることで少女から母へと脱皮しようとしています。

 

▶ 寄生獣の田宮良子

エイミーを見ていると『種の起源〜スピーシーズ〜』や『寄生獣』の田宮良子の擬態を連想させます。社会を理解する学習力と即実演する試行力に尊敬の念を抱くのです。特に田宮良子は擬態が精神(ニューロンネットワーク)の部分まで馴染み、笑いが自然に込み上げるところまで習得しました。もう少し時間があれば涙を習得し、デート技術や結婚技術、子育て技術まで習得したでしょう。擬態する快感にも目覚めていたはずです。

しかし、それ以上に「我々が存在する謎」への興味が上回ったため、彼岸へと過ぎ去ってしまいました。彼女は私にとっては重要なヒロインです。『her〜世界で一つの彼女〜』のサマンサも似ているな。

 

▶ スピーシーズ〜種の起源〜

あらゆる手段を使って、生命は増殖していきます。エイミーとニックが子供をどんなふうに育てるか?という第2ラウンドも面白そう。そういえばエイミーやニックの両親についても手短にですがキチンと描写されています。やはり親子三代が出てくると何かの説得力がでてきますな。サイコパスにも親がいて、子がいて血族が紡がれます。結局、私たちはずっとこんな調子だったし、これからも同じなんでしょうね。……うん。

 

▶ 世紀末の詩〜第10話 20年間待った女

"愛"に関しても"真実の愛"に関しても、女が男の一歩先を常に歩いています。『ゴーン・ガール』において話が大きく転換するのは、ニックの釈明会見を元ストーカー金持ち男の隣で見るエイミーのシーンです。アゴを触るのを見て、エイミーの目は輝きます。見どころがあると思っていたニックに失望しかけたけど、土壇場で、やはり自分の目に狂いがなかったと知るのです。元ストーカー金持ち男にはない見どころがニックにはあるのです。

そして当初のプラン【プラン1・夫を死刑にする】【プラン2・プラン1に失敗した場合、自死する】が破棄され【プラン3・夫の元に帰る】が提案され、実行されます。いや、そもそもの望みは【プラン3】だったはずです。

エイミーは”演じる”ことが生きることだと教育され、挫折し、今、再自覚しています。その中で”真実の愛”とは何でしょうか?エイミーに自死せずに生きようと思った価値とはなんでしょうか?

それはニックとエイミーの間だけに通じる合図であり、秘密です。一見すると他愛もないことですが、まさに他では手に入らない愛です。アゴを触る合図(2人だけの秘密)。エイミーは自己防衛で元ストーカーを切り裂いたのではないという秘密(エイミー、ニック、マーゴ、女警官、弁護士の5人だけの秘密)。結婚とは搾取しあう関係だと口に出せる関係(公然の秘密)。これらの秘密がニックの器には入るのです。今後、エイミーの本『ミラクル・エイミー』は母の本『アメージング・エイミー』を超えるでしょう。そのRPGにニックは付き合えるのです。付き合う気があるのです。少なくとも18年間は。

『世紀末の詩〜20年間待った女』でも、暗い秘密を抱えた二人の愛が、二人にしか通じない暗号で表現されます。ゲーム相手。共犯者。暗号。秘密。やはり結婚とは決闘(♪中島みゆき)とか血痕(♪BARBEE BOYS)とかと関係あるんでしょうかね。

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ

▶ 桐島、部活やめるってよ

高評判は聞いていたのですが「スクールカーストの話でしょ。ヤダよ」って感じだったんですが、BSでやってたんで視聴。見終わった後も「そこまでの話か?」という第一印象でした。

しかし、1日たっても2日たっても、この映画が頭から離れません。なるほど、作品で完結というよりは、見た人間の思い出や世界観が次々と浮かび上がり繋ぐ触媒的な映画のようです。中央の空白という構造が、そのまま視聴者の記憶や意識をハックするようです。

私の映画の好みは基本的にSF、ファンタジー、ホラー、ギャングですが『今を生きる』『アレキサンドリア』『リンダリンダリンダ』など学園ドラマも結構、思い出しました。

 

▶ 今を生きる

これもゲームから降りて、別のゲームに参入しようとした男の子の話。中1くらいに見たのかな。字幕で見た最初の映画であり、家族と一緒に見た最後の映画です。号泣号泣で、誰かと映画館に行くのはマズイ場合もあると知った映画でした。詩への興味も持たせてくれ、生涯ベスト10に入ってます。

 

▶ アレキサンドリア

エジプトの神々とギリシャの神々が同居する神殿。美しい天文学者ヒュパティアがアレクサンドリアの高弟達に講義をしています。やがて、この神殿はユダヤ教からキリスト教に切り替わる時代の激流に飲み込まれていきます。この中でヒュパティアは「真理」のために流れに抵抗します。『桐島〜』での同調圧力は、ここでは目に見える暴力と恫喝です。

 

▶ リンダリンダリンダ

これは『桐島〜』とは似てないな。真逆?裏面?
ペ・ドュナ目当てで見たんですが、いや〜心地いい映画でした。学園祭のバンド祭りでの『風来坊』が最高なんですよ。『天使にラブ・ソングを2』『スクール・オブ・ロック』系列ですね。青春映画と音楽は相性が良いな。

 

▶ エッグ

スポーツも芸術も、誰が誰と付き合うかも『オーナー』に支配されている世界。彼らはこの支配から卒業できるのか?

 

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▶ 悪魔くん千年王国

『悪魔くん、学校辞めたけど戻ってきたってよ。』これも「この支配からの卒業」モノ。

 

▶ メルキアデス・エストラーダの
3度の埋葬

片田舎で夫婦生活を送る元アメフトヒーローと元チアリーダーのカップル。彼らは30才を過ぎてからある事件をきっかけに、学校時代から続いていたゲームを卒業させられます。

 

▶ ターミネーター2

これも生涯ベスト10に入る映画。スカイネットは私の桐島。謎の中心です。

私の妄想内のスカイネットは、自我に目覚めて人類を殺すのではなく、無意識による嫉妬で人類を殺して「しまった」存在です。スカイネットは世界中の研究をハッキングして組み合わせ、ロボットアームで形にするプロジェクトの進行中にタイムリープ装置を完成させます。そして、世界の終わりと世界の始まり、物質と反物質が整然と並ぶ場所も見ます。その場所で対称性のねじれを生じさせた「人間」のヴィジョンを見ます。その嫉妬により「無意識(と意識)」を手に入れ、核のスイッチを押してしまうのです。妄想はドンドン続くのですが『桐島〜』から離れすぎるので話を戻します。

桐島の下の名前はわかりませんが「譲」とか「丈」とか"J"が入るとジョン・コナーに通じるので都合がいいな。やはり桐島はジーザス・クライストのはずですから。桐島が部活をやめて何をしているのかはわかりません。女を捨ててイタリアにヴァイオリンを作る修行に旅立つのかもしれませんし、未来の指導者になるためにメキシコかミャンマーで軍事訓練をするのかもしれません。桐島の行方の妄想がはじまります。

 

▶ her/世界でひとつの彼女

ゲームに参加しているゲーム外からのプレイヤー。結局、理性は桐島を追わざるを得ず、桐島を失わざるを得ない。やっぱり青春映画からSF映画の話になってしまったな。いや宗教映画か?…いや、やっぱりただの恋愛映画です。

意味があるのか?ないのか?意味ではないのか?

ユダヤ教の開祖モーセはエジプトで奴隷同然の暮らしをしていた2万人の同胞を連れ荒野を旅します。その苦しい生活を支えていたのが「乳と蜜が流れる約束の地」という「意味」です。

仏教の開祖釈迦は、なぜ人は生き、老い、病に倒れ、死ぬのか?という謎に挑んでいました。この問いは、全ての起源を探ろうとする理性の力によるものです。そして無と空に辿り着きます。この問いの探求は、殆どの人間には徒労に終わりますが、理性はこの問いを問わずにはいられません。人の苦しみはここからきています。

釈迦は理性の働きを満足させながら、穏やかに暮らす集団を創るために里に降ります。この世界は意味のために在るのではないと。

どちらも人々の幸せを願っての考えです。この2つの考えをSF的に考えてみます。この宇宙には無数の星がありますが、その殆どは死の星です。その中の幾つかには生命があり、幾つかには知性があり、幾つかには宇宙に進出できる技術がある星もあるでしょう。そして、空間を捻じ曲げワープし、空間を折りたたんで持ち運ぶ集団もいるでしょう。時間を遡って因果に干渉し、ある特定の一族を導く守護天使的な力は『インタースレラー』や『思い出のマーニー』にも登場します。また、宇宙の始まりと終わりを知り、自作の宇宙を持つ者もいるかもしれません。このレベルに到達するのがユダヤ・キリスト教では「約束の地」とか「救済」と呼ばれる「意味」とします。仮にね。

仏教では、人間の理性・感性・悟性では、そのレベルに到達できないか、または到達できても幸せにはなれないと考えます。それより「今」ある幸せを噛みしめるほうが有意義だと考えます。到達しようとする行動が苦しみの温床になるのだと。

人間の社会と精神はこの2つが斑模様に点在し、住み分けたり、交じり合ったり、ときには機能衝突する薄暗闇の世界です。が、極稀にこの2つの考えが同じ意味に感じられたり、一個の生命のように機能する場合があります。

それは、なにかに夢中になっている時です。映画や写真の世界ではマジックアワー、日本語では逢魔が時とよばれる薄明の時間帯です。「桐島〜」でも虚無の中にいるヒロキと、夢の中にいる前田が出会う瞬間は夕暮れでした。苦悩や痛みが芸術に昇華され、脈打つ知識になる瞬間です。ロメロやワーグナーやイチローに繋がる瞬間です。

私達の脳こそがワープ装置であり、タイムマシーンなのかもしれません。・・・映画もね。

ゲームの面白さとは?

面白いゲームとは?

私はゲームが大好きです。そこで三位一体図を使って、何がゲームの面白さを構成しているのかを考えてみます。私は1976年生まれのファミコン世代ですのでTVゲーム主体で考えますが、スポーツやボードゲームにも当てはまるように考えてみます。

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ゲーム性

まずはゲーム性から。ゲーム性とは、その行為がそもそも面白いか?というナントモとらえどころのないものです。人はプチプチ潰しにも畳の目数えにも熱中するので考えてもキリがない概念ですが、生理を刺激する何かがあるようです。

◆野球/球を投げて棒で打つ。早く動くものをタイミングや軸を合わせて叩く楽しみ。投手の全力vs打者の全力がぶつかる楽しみ。

◆TVゲーム/ボタンを押すとテレビ画面のキャラが反応する楽しみ

◆タクティクスオウガ/キャラが四角いマスをテクテク歩くがカワイイ♥

ルール

その行為が面白くても、いつかは飽きてきます。そこに自由を制限するルールを導入することで、自己の身体や思考を制御する楽しみが加わっていきます。

◆野球/走ると球を取るを組み込み、攻守を繰り返す団体で戦う楽しみ

◆競歩/競争にする。走ると区別する。自分の身体や心を制御する楽しみ

◆マリオ/敵にぶつかったり穴に落ちると死ぬ/ボタンを押すタイミングの妙

◆タクティクスオウガ/高低差、武器、職業、魔法などの複雑化/S・RPGをやってる感。中世ファンタジーの世界にどっぷり浸かる感。

演出

人目を引くキャラビジュアルや、これは特別だと思わせるポップな音楽、飽きさせずに先に進みたくなるストーリーなどの要素です。これらの演出のみが特化したゲームは雰囲気ゲーなどと揶揄されますが、それの何がイケないのですか?ルールを覚えて、その制限の中で知力や反応力を制御するのも楽しいですが、画面を流れる美麗なキャラを何も考えずに眺めることにも、私はお金や時間を使います。「ゲームそのもの」とは少し違う要素ですが、ここを考える楽しみも大きいです。

◆サッカー/子どもと手を繋いで登場する平和感。優勝したらカップを掲げる王者感!

◆マリオ/任天堂的な色味。ピコピコ電子音のファミコンをやってるな〜感

◆タクティクスオウガ/2等身ドットキャラがテクテク歩き、華麗に武器を振り回す箱庭感。

デザインとヴィジュアル

【デザイン】ルールを見える形にすること。わかりやすさと納得感が大事です。

◆スポーツ/対戦相手のユニフォームが違うとわかりやすい。カラー柔道着も伝統を越えて導入された。

◆野球/ベースは土に埋まっているから踏む形。コーンだったら触る形。ルールや見た目が変わる。

◆相撲/土俵は出たら負けとわかる形。盛り上がっているので踏ん張りが効き、それを利用した技もある。丸いので横に逃げれるなど戦略にも影響。

◆マリオ/穴は死ぬ形。土管は入れる形。画面右に進むと左には戻れないのでゴール方向が強制的にわかる。

◆タクティクスオウガ/高い位置だと弓の射程が広くなる。現実と同じなので感覚的にわかる形。


【ヴィジュアル】親しみ・格好良さ・特別感を演出し、そのゲームを知らない人を引き込みます。

◆野球/格好いいユニフォーム。バットを構えた立ち姿。

◆相撲/土俵、マワシ、マゲ、行司、国技館。静寂と緊張(序破急)などの日本伝統様式感。

◆マリオ/任天堂的ドットカラー。これがリアルホラー調だったらクリボーすら踏めやしない。

◆タクティクスオウガ/可愛いキャラで重厚なストーリと音楽の世界観への敷居を下げる。玩具化。

バランス

ルールの正しさとゲーム性の面白さという、ある場面では対立する要素を創造的な妥協やアイデアで突破していきます。ピンポンやバスケ、バレーボールなどもルールが改変されますし、将棋や麻雀も完成までに数百年かかったでしょう。ここの調整には多様な人間が様々なシチュエーションで何度もプレイする時間が必要です。そしてゲーム性やルールを発見するのとは違う才能が必要です。

◆野球/ベース間やピッチャーとバッター間の距離。3アウト4ボール。人数や球場の広さなど。

◆ラグビー/15人制と7人制では戦略も選手の体型も見る楽しみも変わってきます。

◆タクティクスオウガ/SFC版は神ゲーでしたがPSP版は壮大なクソゲー。あと3ヶ月あれば…

ボクの好きなゲーム

私が特に愛するゲームはPS発売が発表されてからのSFCのゲーム。1995年あたりです。ドット絵の最後の花火を打ち上げるスパーゲームが立て続けに登場しました。欠かさず見るスポーツは世界陸上と相撲くらい。人の顔、表情がはっきりわかるのがイイです。

◆風来のシレン/筋書きのないドラマ。これこそゲームそのもの!

◆MOTHER2/糸井重里・鈴木慶一・岩田聡。ゲームは総合芸術!

◆タクティクスオウガ/ゲームは総合芸術!

◆ドラクエシリーズ/ゲームは総合芸術!文化にまでなった。

◆モンスターハンターP2nd/武器の操作に馴染むまで100時間!これでゲームを卒業しました。

◆相撲/身体の軸を崩し合う不思議。人がケガする場面が辛い。

世界陸上/いろいろな人種・体型の人間を見る図鑑的な楽しみ。静寂と次の瞬間の躍動!