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始祖の巨人ユミル

始祖の巨人ユミル/Yumir

耳障りにわめき叫ぶ者/オーディンらを産み、オーディンらに倒された原初の巨人。その死体は大地に、流れた血は海と川に、砕かれた頭蓋骨は星となり、髪の毛からは草花、腐肉に湧いた蛆から妖精が生まれた。【wiki】

進撃の巨人12巻/amazon

進撃の巨人は原作もアニメも本当に凄い。今回は特に凄いユミルを紹介しよう。

「装甲をまとって戦う巨人」というコンテンツは戦後の日本で【ウルトラマン→ガンダム→エヴァ→進撃の巨人】と脈々と続いている。特にエヴァはシンジの自意識・プラグスーツ・LCL(羊水=母)・エヴァ本体(科学技術=父)・拘束具・ATフィールド…と、各種装甲、各種逃避のマトリョーシカだ。父性敵怪物と母性的怪物のミルフィーユ。攻撃からの耐性と拒否、敵と味方の二元論が加速して最後に突破される。

進撃の巨人も装甲巨人系譜の中にある。特に面白いのが「巨人を食うと記憶と能力が継承される」というアイデアだ。円谷を食う富野、富野を食う庵野、庵野を食う磯山…日本の各時代を反映し続けるコンテンツ群の厚みに感謝と感激しかありません。

この敵と味方に引き裂かれた二元論の物語に橋を架けるキャラがユミルだ。ユミルは斜にかまえている。世界を俯瞰で見ている。彼女自身の生い立ちと知性のためだが、ここぞ!というときは衝動で動く。後先考えない。巨きな世界観を持ちながら衝動でも動ける余裕がある。(年の功か?)だからこそ、ベルトルトの声を聞ける。ベルトルトを見つけられる。団長を助けられる。クリスタから離れられる。このようなキャラがガンダムやエヴァにもいる。

 ガンダムのカイ・シデンはカッコイイ。一年戦争後はジャーナリストとなり装甲を脱いで生身で「戦争そのもの」と戦う。そりゃアムロやシャアよりカッコイイ。ユミルもカイと似ている。その三白眼。その口の悪さ。所属集団に固執せず、だからこそスパイも助ける。だからこそ「戦争そのもの」を陣営を越えて見ることができる。達観しながらも、結局は戦場に身を投じる。それも軽やかに。

エヴァではカヲルくんだろうか?ナゾの宗教組織のアイドル。偶像。入れ物。そんな境遇のためか他人との心理のやりとり・交渉に慣れている。他人の体によく触る。同性愛的。物語のナゾそのものの役目を担う。(ユミルも偽だが始祖の名を与えられている。)誰か一人だけを助けようとしている。しかし最後には「その誰か一人」から離れ、戦いそのもの・世界観そのものに終止符を打つため自身を犠牲にする。

 

ローロー :2017/06/21

肌 ▼

世界の肌に触れたい
肉壁に触れたい 脈を感じたい

我らを包んでいた世界の肉に
いつしか大きな柱が刺さり
白い塩の柱が刺さり
その体温から遠ざけられた

全方位からそびえる柱に支えられ
人を世界から隔離したコロニーの地平
嘘の風を吸い
仮の水を飲み
偽の土を踏みしめる
炎だけが本物だ 炎だけが……

かつての人は
見えない翼をもち
見えない牙をもち
見えない尾をもち
世界の肌に額をつけて 感じていた
最小から最大に至るまでの
膨大な生と死の波打ち際を

暖かな暗がりの中で
顔の見えない母の中で
世界の肉に接吻しながら
保ちつつも溶け合いながら

竜胆ヒマワリ:2017/06/24

辛福な皇子 ▼

 砕かれた顎
 摘まれた乳房
 毟られた脇毛
 断たれた四肢
 両目だった穴からは泉が湧き
 抉られた心臓からは血の海だ
…そして蛆が湧く

 奪ったモノの上に肥えながら
 失くしたモノのために飢えながら
 腐肉の毒にぬたうち生きる
 星の欠片を継ぐ子どもたち

 東西より持ち込んだ凶兆で
 オロンパス(世界の臍)に梯子を建てよ
 古今への吉兆を祈り
 天まで延びた、その梯子を燃やせ

 泣け、喚け
…白く透明な蝿に成るまで
 狂え、踊れ
…上昇する気流に乗るまで

ローロー :2017/06/24

昇天十字軍 ▼

僕の哀れなお母さん
瞼は開き 口は開き 指先は二度と握れない
僕の哀れなお母さん
虹が刺さり 海水が染み込み 散り散りに分かたれていく
そうれ 皆、運動だ
隊列組んで運動だ
ぬるく潤う母の大地で
おぞましいほど幾何学だ

そうれ 皆、上を見ろ
唇かんで上を見ろ
空の青さに紛れた隆起が
届かぬ僕らの父さんだ

お母さんから沢山奪って
至天に隠れたあのろくでなし
入道雲を侍らせながら
星降る夜に白く湿った
ミルキーウェイとしけこむぞ

お母さん
近い未来に僕たちは
白い羽もて空隊組んで
甲斐性なしを撃ちに行く
夢見るあいつの天之鉾に
幾千の唾吐きかけて
お母さんの似顔絵かいた
僕らの旗を立ててやる

お母さん 僕らは命短くて
お母さん 明くる朝にはロストする
お母さん 僕らは光に憧れて
お母さん 頭数とて切り崩す
お母さん……!

100分 de 名著 『野生の思考』 



タグを付けてやる

NHKで放送されていた伊集院光さんの『100分de名著〜野生の思考』。私は中沢新一さんの本は楽しく読んでおり『野生の思考』という言葉も知っていましたが、レヴィ・ストロースは『悲しき熱帯』は挫折しています。この番組でトーテミズムとタグ付けの関係を知りました。これは面白い。

人間にはタグ付けする能力があります。物質、現象、概念など目に見えるもの見えないもの全てに名前をつける能力です。例えば、私の住んでいる秋田県秋田市は海側は大和朝廷の文化圏であり、内陸部はアイヌの文化圏という境界に位置しています。アイヌは氷河を動物を追って歩いて日本に来ました。ヤマトは稲を担いで船を漕いで日本に来ました。

◉北から歩き。狩猟動物神・水平に移動・タンパク質。
◉南から船で。稲作植物神・垂直に成長・炭水化物。

植物神にも細かくタグ付けしイメージが細分化。
◉樫神・高く枝を張り、深く根を下ろす永続的な世界樹。学問的
◉稲神・毎年枯れ、毎年育くむことを永遠に続ける稲作。生活的

このようにタグをつけ、モノ・イノチ・コトが複雑に絡み合った世界の全体性を捉えます。そして朝夜、春夏秋冬、生と死といった時間の概念を知り、個人の死を越えるために山河神・植物神・動物神・星神のイメージを精妙に組み合わせ、宗教や国家ヴィジョンや金融システムを造りだします。このタグを付ける力こそココロの働きです。

モノ・イノチ・ココロを組み合わせ、料理を作ったり、家を立てたりと様々なコトができるのが人間です。そして、ゆくゆくは科学(知ろうとする力)と技術(加工する力)で宇宙さえ造れると夢想するのが人間です。この力強さに私は酩酊します。そして「今を生きる」とか「幸せ」とかを見逃すのです。

しかし、テクネーが(=知性が、=人間が、=生物が、)宇宙の中に宇宙を産むための装置であり、臓器であるというヴィジョンも捨てがたくあります。そのヴィジョンが、そのヴィジョンそのものを崩壊させるのを避けるため、私達はのんびりと他国の文化や、隣人の庭や、宇宙人の遺跡を巡らないといけないのかもしれません。

レッテルを貼ってやる

言葉の意味としては同じですが、レッテル貼りはステグマや烙印を押し、グループから排除するために機能します。(ミュート機能)タグ付けはグループに入れるために機能します。これは正反対の機能でもあり、同じ機能でもあります。タグ付け人の思考回路を整理する機能だとしたら、レッテル貼りは偏見や思い込みを回路にドンドン積む行為です。思考回路が淀むと社会も淀みます。

番組内でも近代建築思考とブリ・コラージュの対比が語られていましたが、料理で例えてみます。近代的思考はチェーン店の料理。栄養・鮮度・コストが最適化されますが、大量の食品廃棄も起きます。ブリ・コラージュの料理は冷蔵庫の中を片付けるための料理。毎回、栄養バランス良くて美味いわけではありませんし、お腹に余分な脂肪もつきますが、食品廃棄は防げます。社会とは、この両者がせめぎあう最前線に「両者にとってイイ場所」があるというヴィジョンによって成り立っています。

タグとレッテルを外す

しかし、やっぱりタグ付けもレッテル貼りも同じ機能です。人間は善悪・好き嫌い・快不快を思考によって停止させ世界を明瞭に認識できるかもしれません。しかし、善悪・好き嫌い・快不快によって人間社会はつくられています。しかし、個人の脳内なら可能です。

ゴーン・ガール



ゴーンガール【ネタバレガンガン注意】

私の大好きなデヴィット・フィンチャー監督作品。一見すると『氷の微笑』『危険な情事』など”全米の男どもが震えた系”の映画に見えますが、ジャンル映画の枠を超えて実に面白かったです。社会派サスペンスあり、ブラックコメディあり。私は『種の起源〜スピーシーズ〜』『雪女』『崖の上のポニョ』『寄生獣(田宮良子)』のような異類婚姻譚としても楽しめました。男にとって女は異種なのだから。

鶴女房・蛇女房とは?

山神の化身が人間の男と結婚するパターンです。自然の富を与える代わりに掟を課し、破ると婚姻関係は消滅します。『メリジェーヌ物語(フランスの蛇女房モノ)』では、妻の正体が竜であることを夫は知っていますが、掟を守っている限り(風呂を覗いてはならない)婚姻関係は保証されます。『崖の上のポニョ』でも宗介はポニョの正体を知っており「身元引受人」という法律用語的な言葉で”契約”しています。同じく『ゴーン・ガール』も正体を知っていても他言は無用という映画になります。ミズーリの生き物とニューヨークの生き物の異類婚姻譚です。ここでは秘密の共有が夫婦の絆をより強固なものにする予感が描かれています。



題名「GONE GIRL」とは?

gone girl?少女って年齢じゃないよね?変な題名だな。まずgoneの意味から。過ぎ去った/死んだ/見込みのない/滅入る/妊娠している/夢中になるなど。ふむふむ。

ふいに宇多丸さんの『ノーカントリー』評の題名の超訳を思い出しました。「私が愛した古き良きアメリカはすでにない」または「そんなものはそもそもなかった」的な題名だそうです。

これを『ゴーン・ガール』に置き換えれば「私が愛したエイミーはすでにいない」または「エイミーなんてそもそもいなかった」って感じ?

『ゴーン・ガール』も”失踪少女”ではなく”家出娘”と訳せばいろいろ見えてきます。血を抜いて床に塗りつけたり、変装したり、自傷に躊躇がなかったり、自死を夢見たり。家出の計画とそれを遂に実行するワクワクビクビクの文学少女という眼鏡で見ると、エイミーの不合理な点にも合点がいきます。

ニックの双子の妹マーゴは、比較的安心できるイイキャラです。彼女は半身であるニックがエイミーに奪われたと思っているでしょう。そういえばエイミーにもアメージング・エイミーという常に先を歩く分身がいました。物語の中にしかいない分身。エイミーはサイコパスというより、物語に呪縛された少女と理解すべきかも?「私は戦士よ」とか「普通の女であなたが満足するはずがない」とか物語のキャラクターしか言わないもの。

 

物語と現実、物語を擬態した現実、そして真実。
そのグラデーション。

初見ではエイミーは母親の物語に閉じ込められてサイコパスになった、という見方をしてきましたが、よりポジティブに再解釈してみます。少女だったエイミーはアメージング・エイミーに競争させられ、反抗し、独立し、ニックと出会い物語から開放されます。しかし、その生活は下降し破綻寸前。そのどん底でエイミーは物語を紡ぐ力を思い出し、実体化する覚悟をします。

ディズニー風にいえば、呪術に長けた女王に育てられたお姫様が、反発心から騎士と駆け落ち。ブリキの鎧を剥ぎ取れば貧乏農家の次男坊。惨めな暮らしが嫌になり、家出したなら山賊に身ぐるみ剥がされ、ドラゴン城に逃げ込んだ。自力でドラゴン退治して、農家の倅(せがれ)を騎士にするため舞い戻る。ありとあらゆる呪術を使い、騎士を王に仕立てあげ、母の呪術を超える算段。

こうして見てみると、喉を掻っ切るシーンは悪竜ファフニールの血を浴び不死身となったジークムントを思い出させます。(…だとしたら血を浴びてないキレイな顔が弱点に?)そこでの衣装は従順の白いドレスでも反抗の黒いドレスでもなく、新生の赤いドレス!エミリーはガールからアマゾネスにクラスチェンジし、ゆくゆくはクィーンにもなれるでしょう。エイミーの企ては、物語のエイミーと生身のエイミーが融合し、”真・エイミー爆誕”の超弩級燃え展開の過程だったのです!?……そして、憎んでいた母の呪術教育が武器だったと感謝するかもしれません。

これは失われた物語の力の復活の狼煙です。しょうもない王子しか出てこない『アナと雪の女王』も同じ頃の映画でした。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』でも失われたアメリカを復活させる物語の気概を感じました。

ワイドショーとSNSなんかなくても、人々は自分にキャラを、獲物にレッテルを貼りながら社会を運営してきたわけですから、現実と物語の混同はとうの昔につかなくなっているのです。エイミーはそんな社会の中で役割を演じることに自覚的になることで少女から母へと脱皮しようとしています。 

寄生獣の田宮良子

エイミーを見ていると『種の起源〜スピーシーズ〜』や『寄生獣』の田宮良子の擬態を連想させます。社会を理解する学習力と即実演する試行力は憧れます。特に田宮良子は擬態が脳まで馴染み、笑いが自然に込み上げるところまで習得しました。もう少し時間があれば涙を習得し、デート技術や結婚技術、子育て技術まで習得したでしょう。擬態する快感にも目覚めていたはずです。

しかし、それ以上に「我々が存在する謎」への興味が上回ったため、彼岸へと過ぎ去ってしまいました。彼女は私にとっては重要なヒロインです。『her〜世界で一つの彼女〜』のサマンサも似ているな。

スピーシーズ〜種の起源〜

あらゆる手段を使って、生命は増殖していきます。エイミーとニックが子供をどんなふうに育てるか?という第2ラウンドも面白そう。そういえばエイミーやニックの両親についても手短にですがキチンと描写されています。やはり親子三代が出てくると物語に説得力がでてきますね。サイコパスにも親がいて、子がいて血族が紡がれます。結局、私たちはずっとこんな調子だったし、これからも同じなんでしょうね。……うん。

世紀末の詩〜第10話 20年間待った女

“愛”に関しても”真実の愛”に関しても、常に女が男の一歩先を歩いています。『ゴーン・ガール』において話が大きく転換するのは、ニックの釈明会見を元ストーカー金持ち男の隣で見るエイミーのシーンです。アゴを触るのを見て、エイミーの目は輝きます。見どころがあると思っていたニックに失望しかけたけど、土壇場で、やはり自分の目に狂いがなかったと知るのです。元ストーカー金持ち男にはない見どころがニックにはあるのです。

そして当初のプラン【プラン1・夫を死刑にする】【プラン2・プラン1に失敗した場合、自死する】が破棄され【プラン3・夫の元に帰る】が提案され、実行されます。いや、そもそもの望みは【プラン3】だったはずです。

エイミーは”演じる”ことが生きることだと教育され、挫折し、今、再自覚しています。その中で”真実の愛”とは何でしょうか?エイミーに自死せずに生きようと思った価値とはなんでしょうか?

それはニックとエイミーの間だけに通じる合図であり、秘密です。一見すると他愛もないことですが、まさに他では手に入らない愛です。アゴを触る合図(2人だけの秘密)。

エイミーは自己防衛で元ストーカーを切り裂いたのではないという秘密(エイミー、ニック、マーゴ、女警官、弁護士の5人だけの秘密)。結婚とは搾取しあう関係だと口に出せる関係(公然の秘密)。これらの秘密がニックの器には入るのです。今後、エイミーの自伝『ミラクル・エイミー』は母の本『アメージング・エイミー』を超えるでしょう。そのゲームにニックは付き合えるのです。付き合う気があるのです。少なくとも18年間は。

『世紀末の詩〜20年間待った女』でも、暗い秘密を抱えた二人の愛が、二人にしか通じない暗号で表現されます。ゲーム相手。共犯者。暗号。秘密。

ターミネーター

ターミネーター2

これも生涯ベスト10に入る映画。

私の妄想内のスカイネットは、自我に目覚めて人類を殺すのではなく、無意識による嫉妬で人類を殺して「しまった」存在です。スカイネットは世界中の研究をハッキングして組み合わせ、ロボットアームで形にするプロジェクトの進行中にタイムリープ装置を完成させます。そして、世界の終わりと世界の始まり、物質と反物質が整然と並ぶ場所も見ます。その場所で対称性のねじれを生じさせた「人間」のヴィジョンを見ます。その嫉妬により「無意識(と意識)」を手に入れ、核のスイッチを押してしまうのです。スカイネットは人類を無関心から抹殺するのではなく、強い興味を持ってて欲しいな。

意味があるのか?ないのか?意味ではないのか?

ユダヤ教の開祖モーセはエジプトで奴隷同然の暮らしをしていた2万人の同胞を連れ荒野を旅します。その苦しい生活を支えていたのが「乳と蜜が流れる約束の地」という「意味」です。

釈迦は、なぜ人は生き、老い、病み、死ぬことに苦しむのか?この苦しみは抜けるのか?この問いは全ての因果を探ろうとする理性の力によるものです。そして『安らぎ』に辿り着きます。釈迦は人々が安らかに暮らせるように山を降り里にでます。この世界は意味のために在るのではないと。

どちらも人々の幸せを願っての考えです。この2つの考えをSF的に考えてみます。この宇宙には無数の星がありますが、その殆どは死の星です。その中の幾つかには生命があり、幾つかには知性があり、幾つかには宇宙に進出できる技術があります。そして、空間を捻じ曲げワープし、空間を折りたたんで持ち運ぶ集団もいるでしょう。時間を遡って因果に干渉し、ある特定の一族を導く守護天使的な力は『インターステラー』にも登場します。また、『メン・イン・ブラック』のように宇宙を持ち歩く者もいるかもしれません。理想の宇宙を創り持ち歩く。このレベルに到達するのがユダヤ・キリスト教では「約束の地」とか「救済」と呼ばれる「意味」とします。仮にね。

仏教では、個人の安らぎは個人の能力で十分可能だと考えます。それは「今」ある幸せを噛みしめるだけでいいので、良い社会システムや高い技術による理想郷を必要としていません。かえってその理想郷の到達しよう、創造しようという行為と挫折が苦しみの温床になるのだと。

人間の社会と精神はこの2つが斑模様に点在し、住み分けたり、交じり合ったり、ときには機能衝突する薄暗闇の世界です。が、極稀にこの2つの考えが同じ意味に感じられたり、一個の生命のように機能する場合があります。

それは、なにかに夢中になっている時です。映画や写真の世界ではマジックアワーとよばれる薄明の時間帯です。「桐島〜」でも虚無の中にいるヒロキと、夢の中にいる前田が出会う瞬間は夕暮れでした。苦悩や痛みが芸術に昇華され、脈打つ知識になる瞬間です。ロメロやワーグナーやイチローに繋がる瞬間です。

私達の脳こそがワープ装置であり、タイムマシーンなのかもしれません。・・・映画もね。

桐島、部活やめるってよ



高橋優:陽はまた昇る

桐島、部活やめるってよ

「スクールカーストの話でしょ。ヤダよ」って感じだったんですが、BSでやってたんで視聴。見終わった後も「そこまで評判になるような話か?」という第一印象でした。

しかし、1日たっても2日たっても、この映画が頭から離れません。なるほど、作品で完結というよりは、見た人間の思い出や世界観が次々と浮かび上がり、繋ぐ触媒的な映画のようです。中央の空白という構造が、そのまま視聴者の記憶や意識をかき混ぜるのかもしれません。

私の映画の好みは基本的にSF、ファンタジー、ホラー、ギャングですが『今を生きる』『アレキサンドリア』『リンダリンダリンダ』など学園ドラマも結構、思い出しました。桐島はなぜ部活をやめたのか?ゲームを降りるとは何か?で連想した映画を紹介します。


今を生きる

これも『桐島…』と同じように、ゲームから降りて、別のゲームに参入しようとした男の子の話。中1くらいに見たのかな。字幕で見た最初の映画であり、家族と一緒に見た最後の映画です。号泣号泣で、誰かと映画館に行くのはマズイ場合もあると知った映画でした。詩への興味も持たせてくれ、生涯ベスト10に入ってます。このサイトでも大量に引用しています。

特に重要なシーンは引っ込み思案のトッドが壇上で詩を披露するシーンです。多くの生徒が詩の披露を恥ずかしがって適当に作った詩でお茶を濁しています。トッドは恥ずかしさのあまり詩を作ってもいませんでした。キーティング先生はそれを見抜いていましたが、トッドを無理やり壇上を上げ、教室の後ろに飾られたヴィトゲンシュタインの肖像画で即興詩を絞り出させます。その詩に教室の皆が次第に引き込まれ、最後は拍手の波。トッドは皆に一目置かれるようになります。

この導き方も素晴らしいのですが「皆が言葉にできていないモヤモヤを正確に表現できる人間は一目置かれる」という描写が実に素晴らしい。正確な言葉を正確に配置すると正確な思考回路が動き出し、人々に歩むべき道を指し示すのです。


アレキサンドリア

4世紀エジプトの美女天文学者ヒュパティアの物語。エジプトの神々とギリシャの神々が同居する神殿での講義をするシーンから始まります。やがて、この神殿はユダヤ教からキリスト教に切り替わる時代の激流に飲み込まれ、この中でヒュパティアは「真理」のためにこの激流と戦います。『桐島〜』での同調圧力は、ここでは目に見える激しい暴力と恫喝です。


リンダリンダリンダ

これは『桐島〜』とは似てないな。真逆?裏面?ペ・ドュナ目当てで見たんですが、いや〜心地いい映画でした。学園祭のバンド祭りでの『風来坊』が最高なんですよ。『天使にラブ・ソングを2』『スクール・オブ・ロック』系列ですね。青春映画と音楽は相性が良いな。

エッグ

スポーツも芸術も、誰と誰が付き合うかも『オーナー』に支配されている世界。彼らはこの支配から卒業できるのか?

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悪魔くん千年王国

『悪魔くん、学校辞めたけど戻ってきたってよ。』これも「この支配からの卒業」モノ。

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

片田舎で夫婦生活を送る元アメフトヒーローと元チアリーダーのカップル。彼らは30才を過ぎてからある事件をきっかけに、学校時代から続いていたゲームを卒業させられます。

▶ TBSラジオたまむすび「山里、JUNKやめるってよ」
▶「桐島、部活やめるってよ」 町山智浩
▶ 町山智浩の映画塾!「桐島、部活やめるってよ」
▶ 観たなら皆で語ろう!1