ponyo01_min
ポニョが好き

私は根っからのジプリファンですが「○○が一番すき!」ってこともなく、どの作品も見るたびに「最高傑作だ!すばらしい!」と思ってしまいます。ポニョもそう。

あとラジオも好きでして。『伊集院光の深夜の馬鹿力』や『たまむすび』→その流れで町山智博さんや宇田丸さんの映画批評も好んで聴くようになったのですが・・・ポニョは酷評なんですよね。他の映画批評は何でも楽しく聴けるのにポニョの回だけ怒りで最後まで聴けません。

そこで気付きます。私はポニョが大好きだったのだと。

naushika-min
ナウシカ⇒もののけ⇒ポニョ

この物語は生命の始まりである海から始まります。海は生命の源であり人間にタンパク源と経済の流通路と娯楽を提供していますが、生身の人間は10分も潜ったら窒息する死の世界でもあります。暮らしを支えている死の世界。このモチーフは『風の谷のナウシカ』の腐海でも語られています。ここで少し『ナウシカ』や『もののけ』について振り返ってみましょう。まず腐海は、

◉ 人間に毒と物資を与える自然であり
◉ 人間から攻撃されたり保護されたりする自然であり
◉ 人間文明が創った人工の自然でもあった(漫画版)

宮崎さんは戦争・原爆・高度成長・公害の時代を生き「人間や文明は世界を滅ぼすかも?」という危機感を強烈に持った世代です。しかし『漫画版/風の谷のナウシカ』を執筆以降、人間の文明も野生の一形態であるという着想を得たようで、樹を切るな!→樹を切ったら植えよう、にシフトしたように見えます。

『もののけ姫』でのシシ神=ダイダラボッチも「命を与えもし、奪いもする」という二つの側面がある神です。さらに

◉ 昼には人面獣体の姿で、動物にシシ神(=ケモノの神・自然の神)と呼ばれる。
◉ 夜には獣面人体の姿で、人間にダイダラボッチ(=タタラの神=製鉄の神=文明の神)と呼ばれる。

ポニョとグランマンマーレが汚い海をそれほど気にしておらず、機械に活力を与えることも厭わないのは、こうした”清と濁・文明と自然をわけない”思考から来ているのかもしれません。しかし、文明も自然も食うも食われるも同価値とする神は、日々を汲々と暮らす我々には脅威にもなりえます。ですから、この原初の神を、国を生んだ神・人間を生んだ神・商業の神・縁結びの神というように社会を安全に運営するのに適した大きさにまで切り分けるのです。こうして原始的な神は縮小され、エビス様や招き猫へと姿を変えていきました。我々の思考回路も同様です。

しかし、強力なバリアに守られチェックされ続ける人間社会は徐々に生きる意味を見失いはじめます。命を大事にしすぎて、バリアに包みすぎて、命がなんなのか忘れそうになるのです。その隙間にオウムやテロといった虚無的な勢力が蔓延りはじめます。

しかし安心?してください。嵐に乗って少女がやってくるのです。

▼ 漫画版ナウシカの「生きねば……」の悲壮感
▼ もののけ姫の「生きろ」の義務感
▼ ポニョの「生まれてきてよかった」の祝祭感


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Optionally add an image (JPEG only)