ponyo03-min
リサの力

この映画は不思議で説明不足なシーンが連続します。例えばフジモトがリサの家の結界に気付くシーン。

「本格的な結界が張ってある。どこでこんなことを覚えたのか?」

初見時はポニョが張ったのかと思いましたが、そんな描写はありません。そこで柵の持ち主であるリサが張ったんじゃないか?と想像してみました。

宗介が赤い服の女の子がポニョだと見破った瞬間、世界が輝きます。これは『千と千尋の神隠し』のラストで豚の群れのなかに両親がいないと見破ったシーンにも似ています。この輝く空を見てリサは「何か、ただならぬ状況が起こりはじめた」と瞬時に察知した表情をします。そして目の前の小さな女の子は異界から宗介を奪いに来た客だと認識し、全力で対峙する覚悟をします。

「どんなに不思議で、うれしくて、驚いても、今は落ち着こう」

そのもてなしはポニョの魔法の力を文明の力で押さえ込む技が駆使されます。

◉電気の灯りや音楽
◉言葉の力=次に何をするかイチイチ言葉にして誘導する
◉食べ物の力=その世界の食べ物を食べるとその世界の住人になる

このリサの儀式は、ポニョを(不完全ながら)人間にすることで異界との穴を(応急的に)閉じさせ、波を低くさせたのかもしれません。『魔女の宅急便』のウルスラや『ハウルの動く城』のソフィーのような潜在的な魔法使いのようにです。

そしてグランマンマーレの儀式によって、ポニョは完全に人間となり世界の綻びは完全に閉ざされます。

kyosinhei-min
名前をつけてやる

ポニョをもてなすさいに、リサの家のガス・水・電気が行政システムから独立できることが丁寧に語られます。同時にモールスや電波で夫と交信するシーンも描かれています。これは一体、何のための描写なのでしょうか?

伊集院光さんの深夜ラジオで「宗介が母親を名前で呼ぶのが気持ち悪い」と話していました。私は「そんな家もあるかもな。父親(リサにとっては夫)が不在なんだし」くらいにしか思いませんでしたが、そういえば『千と千尋の神隠し』でも「名前を奪って支配する・名前を思い出せば解放される」というモチーフがあました。『風の谷のナウシカ(漫画版)』でも巨神兵に名前を付けると神になるシーンがあります。宮﨑駿さんは名前の魔力に関して思うところがありそうです。ここは、すこし深読んでみましょう。

ポニョも父親を「フジモト!悪い魔法使い!」と呼びます。もう名前ですらなく名字です。(グランマンマーレは「お母さん!」。これは名前というより名付けれないほど大きな存在という感じ。漫画版ナウシカの巨神兵オーマも太母という意味らしいし。)逆にフジモトは「ブリュンヒルデ」と呼んでいた娘を物語後半からはあっさり「ポニョ」と呼び、自分の支配が及ばなくなった存在だと認めています。

名前に関する最重要シーンは、やはり嵐に乗ってやって来た赤毛赤服の少女を「ポニョ?」と見抜くシーンでしょう。この「見抜く力」は、母親を「リサ」と呼ぶ環境から身に付いたのかもしれません。目の前の人間を所属や役割から判断するのではなく、そのまま、そのものを見る力。

またポニョが「宗ちゃんじゃないよ宗介だよ」のセリフにも私たちを貴方たちの都合で扱わないで!という主張が読み取れます。

私も父母を名前で呼びません。…が「それが異常だ」と思わない風土で育ちました。両親にも名前があるのに、息子がその名で呼んだことがないというのも不思議と言えば不思議です。

ponyo10_min
人は昔々、魚だったのかもしれないね

なぜリサには、こんな力があるのでしょうか?リサは微かな魔法使い(さらに機械にも波にも詳しい)であるという、私の勝手な想像を押し進めてみます。

リサの荒々しい運転・荒々しい愛情表現は、まるで大きくなったポニョのようです。…ひょっとしたらリサも元人魚?!ポニョの年のはなれた姉?…そういえば、グランマンマーレ・リサ・ポニョには「波を読める。機械を直せる、または機械の操縦に長ける。愛した人が海の男。」という共通点があります。

◉ グランマンマーレの愛人・フジモト。ヒレ船の船長。
◉ リサの夫・康一。小金井丸の船長。
◉ ポニョの恋人の宗介。ポンポン船の船長。

リサは元人魚であり、愛した康一に「リサ?」と名を呼ばれ人間になったのかもしれない!?そして、そのことが誰か(観客にも!)に知られたら泡になってしまう掟なのかも!?

この空想のお陰で解けた謎があります。それは「異界から訪れたポニョと可愛い息子を二人きりにして、なぜリサはひまわり園に向かったのか?」という謎です。最初は彼女の職業意識かと思ったのですが、 どうも不自然です。あんなに大好きなはずの夫も息子もほったらかして、暗闇に動く光を見てひまわり園に向かい、そこでグランマンマーレと長いおしゃべりをしているのです。まるで彼女に会いにいったかのようです。

リサが元人魚であったのならば、ポニョと宗介を二人きりにした意味も、グランマンマーレとの長い会話が聞こえない意味も明確に想像できてきます。

リサ「私が19才で受けた試練を5才の宗介とポニョにできるでしょうか?」
ママ「だいじょうV」

では、なぜ宮崎さんは、なぜこんな複雑な脚本にしたのでしょう?宮崎さんは『もののけ姫』以降、一見しただけでは不自然・意味不明に見える描写を作中に散りばめ始めました。これは【1+1=2】的な映画より、【1+X=2】的な映画の方が問題を解く分の面白さがある、という単純な理由からだと思われます。
そのうえで、この「読み解く能力」は映画を楽しむ力だけではなく、社会を構成する力だとも考えている!……かもしれません。

◉ 見抜く力が物語を展開させるシーンがそもそも映画として面白い。
◉ 映画を読み解くのも映画の醍醐味のひとつ。そのための虫食いシナリオ。
◉ 世の中を読み解き受け止める男の子が増えて欲しい、そんな男の子を育てられる母親が増えて欲しいという監督の願い。(=女の子は大丈夫。)

「見抜く・読み解く・受け止める」が、シーン・シナリオ・テーマといった異なった次元で語られ、また映画として融合しています。そして『ポニョ』を見た子供たちは「語られてはいないが私の母はグランマンマーレの娘」であり、「忘れてはいるが私もグランマンマーレの娘」であることに、いつか気付くのでしょう。この魔法は将来、女の子が男の子をゲットするときに役立つはずです。…男の子は相手の正体が魚や豹や蛇や兎だと見抜いたうえで受け止めてください。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Optionally add an image (JPEG only)