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ポニョの力

「死の世界」を表現しようとして「生の世界」が表現されことを『ポニョ』は見せてくれました。この【テーマの怖さ?】と【表現されたモノの楽しさ?】を、そのままを具現化しているのが主人公のポニョです。ポニョはおぞましくて可愛くなくてはいけません。生命がそうであるように。ここで「海水型ポニョを水道水に入れて大丈夫?」を考えてみます。まずポニョは

(1)フジモト研究室のキレイな水槽を抜け出して
(2)生命豊かな海と戯れ、
(3)港の汚れた海に辿り着き、
(4)リサの家の貯水タンクの水(おそらく雨水)に入れられ
(5)ひまわり園の水道水(塩素入り)に入れられ、
(6)フジモトによって(1)に連れ帰されます。

フジモトが「汚らわしい人間たちを一掃するため」に貯めていた海のエネルギーでポニョは人間に変身し、人間の男の子に会いにいくのです。素晴らしい構造です。その後も、

◉ 舞台が海→陸→文明社会→航海→船が沈み→トンネル
◉ 姿形も魚→両生類→鳥→人間→トンネルでの先祖帰り
◉ 何度も寝て起きる

メタモルフォーゼが波のように行きつ戻りつ反復されます。飛躍して考えると、息がしにくい現代社会も、魚が陸に上がったように克服できるフロンティアだと考えたい。人間の知性と技術への制御については『ナウシカ』で考え抜き、少し悲しい気分になったので、今日生きるため、明日生きるために開き直ったのかも?

そしてポニョを受け入れた宗介に握手を求めるフジモト。人間をやめたポルコもフィオのキスで人間に戻り、人間に嫌気が差している監督も子供に出会うと、やはり嬉しい。だからこそ宮崎さんの作品はテーマが暗く重くても、表現としては明るく風に乗れるのです。それこそ生命。これこそ芸の術。

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津波後の世界は死後の世界か?

さてラストのアレは死後の世界なのか?という問題です。初見時は「あの洪水を生き残ったのはトキ婆さん・宗介・記憶を失った赤毛の女の子の3人だけ。その女の子のための作られた物語が『崖の上のポニョ』だ。」ということにしました。…しかし、どうなのかなー、それじゃあんまりだなー。

「この世に悲劇は尽きることはない。そんなとき物語にはどんな力があるのか?それこそを子供たちに知って欲しい。しかし、そんな作り物を子供たちに見せたくもない。」宮崎さんはそんな葛藤を持ちながら作り始め、作り終えたのかもしれません。

結果、ポニョが港の人の命を奪った物語にも、老人たちにエネルギーを与えた物語にも読める作品になりました。視聴者も、その日の気分によって読み変えられるのですから2度美味しい。これが演出技術だとしたら凄い!…んですが、恐らく強引にラストをハッピーにしたんじゃないかなー。物語の引力に従うと悲劇になるところを、作家の意思でハッピーにするというのも、強力な福音です。

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死と生・現実と物語・過去と未来のチャンプルー

蛇足になってしまいましたが、ポニョがキスした3人について。

ラストが「ほぼ全滅」ならば、ポニョにキスされることが生き残る条件なはずだったんです。(キスは縁が結ばれ再び生きることを意味します。また巡る春です。仏教では縁から解き放たれることを解脱と呼び、グランマンマーレも泡になることを悲劇だとは考えていないようでした。しかし、この映画のテーマは「生まれて来てよかった!」です。「生まれてこなきゃ良かった…」ではないのです。)

港町が水没したあとポンポン船に乗ってリサを探す宗介とポニョ。その道中、古い船に乗った夫婦と赤ん坊との出会いが丁寧に描かれます。その家族との別れ際、ポニョがわざわざ水面を走って戻って赤ん坊にキスをします。その後、トンネルを抜け魚に戻ったポニョ。そこにフジモトが下手な誘拐犯のようなセリフで宗介を誘います。さらにトキ婆さんが「騙されるなー!」と叫び、謎のスローモーションでポニョとキスをしてしまいます。この赤ん坊とトキ婆さんのシーンは変すぎます。話の本筋に関係ないし、なんなんだこれは?…こういう変なシーンのときには隠された意味がある合図です。青い服と可愛げのない顏。…似てる気がしてきました。まずトキ婆さんには津波と人面魚に関連したトラウマがあり、そのためポニョが金魚ではなく人面魚であることを見抜けます。その力とトラウマを授かった瞬間が、あの3人家族とポニョの出会いのシーンだったのではないでしょうか?

ん?時間軸がメチャクチャですって。そうなんです。あの水没した世界は、時間や虚実や生死がチャンポンになっている世界なのです。アフリカ神話でも語られている空と海とが混じる夢の場所。そこには決してたどり着くことはできないそうです。

こういった思考法が神話的思考です。この思考を復活させるための描写が「トキ婆さん=赤ん坊」であり、古今の船と飛行機と海洋生物が行き交う海なのです。

というわけで「この物語は人魚の肉であった」という私個人の想像を終わります。この肉で人間の世が、これからも八百代・八千代も続き、野生や人情を保ったまま太陽系から湧き出て、何億倍にも増え、願わくば身元を引き受けてくれる人に出会うことを祈っております。


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